先日、MLB史上最多安打を打ったピート・ローズ氏が亡くなりましたが。
10月23日には、ドジャースのレジェンド左腕、フェルナンド・バレンズエラさんが63歳で亡くなりました。
バレンズエラさんは、1981年にデビューして新人王とサイヤング賞をダブルで受賞した名左腕投手で、95年に渡米して大活躍した野茂英雄さんの活躍と同等かそれ以上のインパクトを与えた方です。
謹んでご冥福をお祈り申し上げます。
「フェルナンドマニア」と呼ばれるほどの大旋風
バレンズエラさんはメキシコの農場を経営する12人兄弟の末っ子で、メキシコで投げている姿をドジャースのスカウトから注目され、1979年にドジャースと契約。1980年9月15日にMLBデビュー。翌81年には13勝7敗、防御率2.48、180奪三振、11完投(8完封)という大活躍を見せて、最多奪三振のタイトルを獲得し、新人王とサイヤング賞をダブル受賞し、さらには新人ながらオールスターゲームでは先発投手を務め、ワールドシリーズでも、ドジャースのワールドシリーズ制覇に貢献しました。
バレンズエラさんはメキシコ人であり、当時はスペイン語しか話せず、メジャーデビュー当時は「Food」、「Drink」、「Beer」しか英単語を知らない状態だったそうです。
このバレンズエラさんの活躍に、ドジャース本拠地のロサンゼルス市民は熱狂します。いわゆる「フェルナンドマニア」と言われるほどで、この活躍は後年の野茂英雄さんが同じドジャースで三振を取りまくる活躍と同等かそれ以上のものだったようです。
ただ、左腕という点で見ると、今年同じように開幕から連勝を続けたシカゴ・カブスの今永昇太投手の方が共通点があるかもしれません。バレンズエラさんはスクリューボール(左腕の落ちるシュート)を武器にしている一方、今永さんはチェンジアップとスライダーが武器。三振が取れる点でも二人は似ているかもしれませんね。
ドジャースのエース
バレンズエラさんは、翌年以降もドジャースのエースとして活躍します。1980年代のMLB左腕では最も勝ち星を重ねています。128勝を挙げており、これはMLB通算でも第3位です。(1位はジャック・モリス氏の162勝、2位はデーブ・スティーブ氏の140勝)
毎年のように200イニング以上を投げ、1986年には21勝を挙げて最多勝になります。この当時は、同じドジャースにオーレル・ハーシュハイザー投手が現れ、彼とドジャースの二枚看板を組みます。1988年には再びワールドチャンピオンとなりますが、この頃からバレンズエラ投手に衰えが見え始め、1990年にノーヒットノーランを達成するも、13勝13敗、防御率4.59という不調に終わり、翌年のスプリング・トレーニング中にドジャースを解雇されます。
以後は、メキシコリーグで投げ続けますが、1993年にボルチモア・オリオールズで再びMLBに復帰。その後、1996年にはサンディエゴ・パドレスで13勝を挙げて復活しました。MLBでは1997年まで投げ続け、再びメキシコ・リーグで投げ続け、引退表明をしたのは2006年でした。
永久欠番の「34番」
バレンズエラさんは引退後、ドジャースのスペイン語中継の解説者として活動されていました。まだ63歳という若さでの他界となり、残念でなりません。
バレンズエラさんといえば、スクリューボールの使い手として有名で、1988年に中日ドラゴンズとの交換留学によってドジャースのキャンプに参加していた山本昌投手にこのスクリューボールを直接指導したこともあったそうです。山本さんはすぐに習得は出来なかったようですが、別の機会にこのボールをマスターし、帰国後から大活躍をしたことは有名な話です。
アメリカンドリームを体現したバレンズエラさんの栄光は永遠に語り継がれることでしょう。改めてお悔やみ申し上げます。
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