以前、金沢八景~文庫の散歩コースを当ブログで紹介しました👉 金沢八景~文庫散歩
今回は、そのコースで立ち寄る場所について、さらに詳細な情報をお届けします。今日は6回目になりますが、「伊藤博文金沢別邸」になります。
旧伊藤博文金沢別邸
野島をはじめとするこの金沢の地には、明治の政治家や文豪たちの別邸が多くありました。明治中期には、東京近郊の海浜別荘地として注目され、松方正義や井上馨が別荘を設けました。
野島にあるのは初代内閣総理大臣となった伊藤博文の別荘です。明治31年(1898)に建てられた茅葺数寄屋根の田舎風海浜別荘建築になります。
しかし、明治後期になると同じ神奈川県の大磯や葉山、小田原などの湘南地方が別荘地として栄えたため、金沢はその役目を終えます。
この金沢別邸は、当時の別荘地の数少ない貴重な建築遺構です。
ここでは内部の見学が可能です。往時を忍ぶものが沢山あります。
明治憲法の起草
金沢別邸が出来たのは明治31年ですが、これより9年前の明治22年(1889)2月11日に、明治憲法が発布されました。草案は伊藤博文が中心となり、井上毅、伊東巳代治、金子堅太郎らが横須賀の夏島で起草しました。夏島はこの野島と程近い場所で、海を挟んで対面にあたります。
よく、金沢別邸こそが憲法起草の場と誤解されていますが、それは誤りです。起草当時は金沢別邸は存在せず、その9年後に夏島別邸とは別に金沢別邸を建てたのです。この野島別荘には、大正天皇や皇太子裕仁親王(昭和天皇)、韓国皇太子をはじめ、多くの皇族や政府高官が訪れています。
写真は洲崎町にある「明治憲法起草の地」の碑です。
夏島は当時孤島であり、憲法が発布されるまで秘密を守らなくてはならないため、この地を選んだそうですが、別荘自体はとても狭く、伊藤以外は泊ることができませんでした。
そのため、伊東巳代治と金子堅太郎は、金沢の料亭旅館「東屋」に宿泊し、夏島まで小舟で通っていたといいます。その東屋があった洲崎の地に、この碑が出来たのです。
昭和10年、東屋から歴史的な憲法草案審議が始まったことにちなんで、「憲法草創の処」の記念碑が東屋に庭に建てられ、のち昭和30年に東屋が廃業したとき、石碑は横浜市に寄贈され、野島公園に移されましたが、近年になって再びこの洲崎町に移築されました。
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