私が住んでいる横須賀市には浦賀という町があります。江戸時代から明治初期にかけて、横須賀の中心よりも浦賀の方が栄えており、特に江戸時代には関東の海の玄関として発展していました。そのため、江戸幕府は浦賀を重要視し、そこに奉行所を設置しました。
今日はこの浦賀の町と、そこで幕末に活躍した中島三郎助について簡潔に話します。
浦賀奉行所
享保元年(1720年)に、奉行所は下田から浦賀に移されました。奉行所では、船の改めのほか、海難救助や地方役所としての業務を行っていました。また、文化・文政年間からは、たびたび日本近海に現れる異国船から江戸を防備するため、海防の最前線としてさらに重要な役割を担うようになりました。奉行所が浦賀に移設された享保5年から、江戸幕府が倒れた慶応4年(1868年)までの約150年間に、奉行は一時2人制の時期もありましたが、初代堀隠岐守から最後の土方出雲守まで、延べ52人が務めました。
現在では、奉行所敷地を取り囲む堀の石垣と、表門の前にかかっていた伊豆石の石橋が4~5枚残るのみとなっています。19世紀になると、西洋諸外国の船が日本近海に現れ、浦賀にも来航してきました。特にアメリカのペリー艦隊、いわゆる「黒船」艦隊の来航の際には、浦賀奉行所がその対応を担当しました。
かつては「黒船来航に幕府側はアタフタして何もできなかった」と言われてきましたが、この時の浦賀奉行所の対応は見事で、米国側にも毅然とした態度で臨み、決して言いなりにはなっていませんでした。その時、最も活躍したのが浦賀奉行所の与力であった中島三郎助です。
中島三郎助
中島三郎助は、浦賀奉行所の与力・中島清司の次男として生まれました。14歳の時、与力見習いとして奉行所に出仕し、以来、終生浦賀の民政・治安・町の開発のために尽力しました。
ペリー来航の際、三郎助は日本が直面した危機の中でこれからの国の在り方を見据え、幕府が取るべき方針を進言し、さらに軍艦の建造や砲台の築造に従事するなど、一与力に過ぎない身分でありながら重要な国務に携わっていました。また、ペリー来航の際に黒船に乗り込んだ時、折衝の任にあたりながら艦内を見回った様子は、「ペリー日本遠征記」に次のように語られています。
「詮索好きで好感の持てない人物」
これは、むしろ三郎助を称賛する言葉ではないでしょうか?米国側がいかに中島の態度と力量を恐れて嫌悪していたかの証拠です。よく、幕府側はペリー黒船側に対して腰が引けていたと言われますが、幕府側はあらかじめペリー来航を予測していました。その予測に基づき、浦賀奉行所側は毅然とした態度で対応しました。中島もその基本線に沿って対応しています。
この行動は、翌嘉永7年に日本初の洋式軍艦「鳳凰丸」建造に大いに役立ちました。三郎助は早くから洋式船の必要性を十分に感じ取っていました。安政2年(1855年)には、勝海舟・榎本武揚らとともに長崎の海軍伝習所へ派遣され、海軍士官としての修業と造船術を学びました。安政5年(1858年)5月に江戸に戻り、海軍操練所の教授として後輩の指導に当たります。また、咸臨丸の修理を行うなど、まさに海国日本の造船・操船の第一人者としての礎を築いていきました。武士としても、剣術・槍術に関して諸流の免許皆伝を取得し、大筒鋳造や砲台建設に至る専門的な技術も身に付けていました。
箱館で壮絶に散る
慶応4年(1868年)、幕府は大政奉還を行い、それに伴い150年の歴史を持つ浦賀奉行所も廃止され、与力や同心たちも離職しました。三郎助は幕臣として主家の徳川家のために命を捧げることを決意し、明治元年(1868年)11月に長男恒太郎、二男英次郎、および腹心の同志や榎本武揚らとともに江戸を脱出し、箱館五稜郭に籠って新政府軍を迎え撃ちました。しかし、武運拙く敗れ、二人の子とともに千代ヶ岡で壮絶な戦死を遂げました。享年49。箱館における壮絶な戦死と言えば土方歳三を思い浮かべますが、中島三郎助父子の奮戦もまた印象的です。
三郎助の最期は最初から強い意志に基づくものであり、彼の決心は揺るぎないものでした。それほど三郎助という人は、武士としても、人間としても忠義一途な人物でした。また、三郎助は文人としても和漢の学に造詣が深く、和歌・俳諧・漢詩文をたしなみ、俳人としては当時の浦賀のみならず江戸俳諧においても「木けい」という俳号で知られていました。
「ほととぎす われも血を吐く 思ひ哉」
この俳句は、旧幕府軍追討令が新政府軍から下されたことを知った三郎助が詠んだ句です。中島三郎助の名はまだ広く知られていませんが、彼の存在はもっと知ってほしいと思います。横須賀に住んでいる私にとって、彼は決して語らずにはいられない傑物です。
この中島三郎助の事に加え、浦賀奉行所を中心とする浦賀の町の歴史も語っていければと思います。
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