渋沢栄一の人格形成には、少年期の、とりわけ父・市郎右衛門の存在が大きかったように思います。その渋沢市郎右衛門についてみていきたいと思います。
中ノ家の養子になった市郎右衛門
渋沢栄一の父、渋沢市郎右衛門は、もともとは支族であった渋沢宗助の第三子である元助を迎え入れ、栄一の母であるお栄の婿としました。その際、中の家の通り名である市郎右衛門を名乗らせたのです。つまり、父・市郎右衛門は養子であったわけです。
宗家と支家の関係は古来より大切にされており、たとえ宗家が衰え、支家が盛んになっても、宗家はなおその権威を保ち、君長のような存在として支家は隷属的な地位に立つことが常でした。実情はともかく、少なくともそれが当時の社会道徳であったのです。そのため、支家の元助が宗家に入って市郎右衛門となったことは、元助にとって名誉であり、誇りであったことでしょう。財力も才覚もある元助を跡取りにしたことは、家を保つためにとても重要であったと言えます。
元助は市郎右衛門となり、よく働き、よく勤めました。市郎右衛門は中の家の衰運を挽回することに成功しました。聡明で勤勉であるだけでなく、復興を図るために最も必要な倹約の徳を守ったことが、家運回復の最大の理由であったことは疑いありません。
市郎右衛門は、家業に励みました。その家業である藍の製造は、その材料である生藍の品質を鑑別することで、その結果の利害が分かれるものでありましたが、市郎右衛門はその鑑別が実に精細で、近隣の者たちはみなその腕前を称賛していたと言います。市郎右衛門は見事に家運を立て直しました。そして、その余力をもって荒物商を始めました。言うまでもなく、それは質朴な村落の百貨店でありました。
堅実な努力は、さまざまなところに輝きをもたらしました。1、2年、5、6年と何年かを経て、家道はますます殷賑となり、財も多く屋も潤い、実父の宗助の家に次ぐ富を築くに至ったのです。
商才だけでなく、文才、武芸にも秀でた
ここにおいて市郎右衛門は、領主である安部家の御用達となり、しばしばその名のもとに金穀を融通し、苗字帯刀を許されるまでになりました。さらに、村役人に認められ、組頭から進んで名主見習いとなったのです。当時の制度において名主・組頭は、代官・郡奉行の下に属する公吏であり、百姓代と共に地方の三役人と称されました。名主は村の長であり、組頭は名主の補佐を務めます。その任務は郷内の治安を図り、農工商業を督視し、貢税を徴収し、小物成を運上し、用水・堤防・橋梁・井堰などの事務を管掌することでした。名主は、概ねその家が資産を持ち、その人が徳望のある者として選任されたのです。市郎右衛門はすでにその家を中興し、この地に新たに選ばれ、郷村のために力を発揮する地位に立っていました。市郎右衛門の才覚と人徳がいかに優れていたかがわかります。
市郎右衛門はその上、文事にも通じ、武技にも秀でていました。詩を読み俳諧を楽しむというわけではありませんでしたが、文雅な性質が自然と表れ、文章は実に素晴らしいものであったと言われています。また、撃刺の術については必要性があって学んだわけではありませんが、関東の気風が勇武を尊んでいたため、余力のある者は好んで剣を学び、市郎右衛門もそれに倣い、神道無念流の剣法に達したと言われています。つまり、地方の長者としての資格に欠けることのない教養を持った好人物であり、民を愛し、誘導啓発して殖産興業に尽力したことから、郷村の間で重んじられたのも当然であったのです。
渋沢の経済観念の養成に大きな影響
その父・市郎右衛門の性格について、後年渋沢は「方正謹直で、一歩も人に仮することが嫌な持前で、いかなる些細な事でも、四角四面に物事をする風であった」と述べています。また「人に対しては最も慈善に富んでおり、人の世話をすることに非常に親切であった。さらに、平素から自ら奉ずる所はいたって倹約質素で、ただ一意に家業に勉励する非常に堅固な人であった」と語っています。
その父から、渋沢は15歳の頃、厳しく叱責されたことがありました。それは、叔父と一緒に江戸に出た際、古くなった自分の硯を買い替え、本箱とともに一両二分で購入したときのことです。帰宅後、その試刷りがあまりに立派であったのを見た市郎右衛門は、「物には権衛というものがある。身分不相応なことをするようでは、この家を維持できるかどうか心配だ。横道な不幸な子を持ったものだ」と立腹し、大いに嘆息しました。これに対して渋沢は父の態度に反発を覚えつつも、「己の分を守れ」という父の教えを少しずつ理解し、納得していったと言います。この思い出は、父の教えによって自身の経済観念が養成された逸話として、後年繰り返し語られることになるのです。
(続きます)
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