給料は我慢料 されど我慢だけで人生は送れないかもしれない

早期退職後の生きる道

先日、自分の働き方改革について書いた私ですが、今リラックスできているのは、仕事に行っていないことで「我慢していない」からだと思います。それによって、ストレスがほとんどない状態だからです。

仕事というのは「我慢」することだと、歌手の美輪明宏さんが言っていたことがあります。「お給料は我慢料」という、美輪さんの名言ですね。これはとても良い言葉で、的を射ていると思います。

ただ、我慢してお金を得ることだけに、果たして人生を費やしていいのでしょうか? ここには疑問を感じます。この疑問を抱いたからこそ、私は早期退職を決断したとも言えます。

確かに「お給料は我慢料」

美輪明宏さんは、長崎の原爆で被爆された体験をお持ちの方で、その言葉には深い重みがあります。

給料を得るためには、それに見合う働きをしなければなりません。そのための「我慢」は当然必要です。この「我慢」が純粋に「仕事の質と量」に関するものであれば、全く異論はありません。ですが、雇用関係においては、「仕事の量と質」だけの我慢では済まないことがほとんどです。(というか、ほぼすべてのケースに当てはまります。)

結局、人と人との関係、つまり「人間関係」における我慢が大半を占めます。美輪さんが言いたかったのは、恐らくその「我慢」なのだと思います。

美輪さん自身も相当な苦労をされたことでしょう。おそらく芸能界で生きる上で、私たちには想像もできないほどの人間関係の苦労があったと推測します。それを乗り越えた上での「我慢料だよ」という言葉には、深い理解と経験があると感じます。

どんな仕事であっても、「我慢」という部分は少なからず必要です。私も35年間、それなりに我慢をしてきました。そのおかげで相応の給料を得て、早期退職の際には退職金もいただくことができました。したがって、「我慢」は必要であり、「我慢」しなければ稼ぐことはできない、それは事実だと思います。

されど我慢も時には限界が来る

しかし、長く生きていれば「我慢」も時には限界が来ます。私が今年早期退職を決断したのは、その「我慢」が限界に達したというよりも、「我慢に一度ピリオドを打ちたい」「一旦、我慢することから逃れたい、小休止したい」という理由でした。

「お前はその程度の我慢ができないのか」と思う人も多いでしょう。実際、今でも世間の半分くらいの人はそう考えているのではないでしょうか。事実、60歳、もしくは65歳まで同じ場所で勤め上げることを選ぶ方が一般的であり、その方が「安定」を得られるからです。

その「安定」を得るために「我慢」をしてきましたし、これからも続ける必要がありました。しかし、以前にも書きましたが、昨年暮れにとんでもない異動の内示があり、それが私の中で何かがはじけるきっかけとなりました。そこで私は「我慢も、ここで一度ピリオドを打とう」と決意したのです。

我慢しようと思えばできる程度のものでしたが、我慢したところでまた同じことを繰り返すのであれば、私自身の飛躍もないのではないかと考えました。53歳になった私が飛躍を考えるなんて普通は思わないでしょうが、私はあえてその考えを捨てました。「我慢」を一旦手放し、しばし自由な自分を取り戻そうと思ったのです。自由というのは、身体的にも、精神的にも、思考的にも。

「我慢」をしていれば、それに見合う「給料」を得ることができます。そして同時に、その給料で生活基盤の「安定」を確保することができます。しかし、その「我慢」を放棄すれば、給料はなくなり、安定した基盤も失います。その代わりに、自由を得られ、ストレスフリーな状態に近づけました。もちろん、今は収入がなくても当面はしのげる状況だからこそ、ストレスフリーでいられるのです。いつまでも無収入を続けるつもりではありません。稼ぐ手段はすでに構築しはじめており(それが成功するかは不明)、来年には短期間ではありますが、市役所のアルバイトをするつもりです。(まだ面接前なので、採用の可否は不明ですが。)

給料が我慢料にならないようにする時代に

給料は「我慢料」というのは事実ですが、そろそろその「我慢料」だけを給料や稼ぎの基準にする時代から脱したいですよね。もちろん、そんな簡単にいくはずもありませんし、完全に我慢料から脱するのは不可能かもしれませんが、ある程度は楽しんで稼げるようにしていきたいと思っています(笑)。

給料が「我慢料」であるというのは、おそらく社会全体に余裕がないことの現れなのでしょう。(主語が大きすぎますが)日本社会は非常に豊かですが、管理者にも労働者にも無理を強いており、1億人の人口で「質より量」の戦後を乗り切ってきたように思います。高度経済成長期はそれが当たり前でしたし、そのことを完全に否定的に捉える必要はないと思っています。

しかし、もう30年も不況状態が続いているわけですし(それを認めない人も多いですが)、働き方や考え方を変える必要があると感じています。誰かが皺寄せを受け、穴が開いたら「人海戦術」と「気合と根性」で乗り切れ、という方法はもう終わりにしなければなりません。

日本人は「能力がある」という意味を、結局「人海戦術」と「気合と根性」で乗り切れる人だと思っている節があるように感じます。実際、それで何とかやってきた部分もありますし、今もその側面が強いので仕方ないのかもしれません。しかし、「気合と根性」=「我慢」でもあるので、ここはやはり変えていく必要があると思います。

気合と根性が乏しい私ですが、それでも35年間よく社会人として過ごせてきました(笑)。今はその我慢を放棄していますが、また我慢する時は必ずあるでしょう。ただし、我慢するにしても、自分が納得できる形で我慢し、我慢するシチュエーションを減らして、もっと楽しく稼げるようにしていきたいと思っています。

それがどう実現できるのか、それが私の挑戦でもあります…って、大げさですね💦

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