歴史の話

おいたち

石橋湛山 おいたち 5⃣ 東洋経済新報社で再スタート

石橋湛山は徴兵検査に合格し、入営することになります。そこでの苦労を重ねるうちに、戦争への忌避感を抱くようになり、やがて反戦論者へと変わっていきました。除隊後、湛山は東洋経済新報社に入り、ジャーナリストとして再スタートを切ります。先日、石破首...
戦国時代

武田家について 信玄の大戦略 1⃣諏方(諏訪)攻略戦

武田家の事について語ります。まずは信玄の主だった戦略についてです。最初は、信玄家督相続後最初に他国侵略を行った諏方(諏訪)攻略戦です。諏方惣領家を滅亡させる天文10年(1541)6月14日、ほぼ無血クーデターにより父・信虎を駿河に追放し、武...
戦国時代

石田三成 その人物と軌跡 1⃣順風満帆の躍進

石田三成の項目の更新が遅くなってます💦ようやく手を付けました。今回は三成の足跡をたどっていきます。若い頃から振り返っていきます。三成の生誕石田三成の出生地は、近江国坂田郡北郷村大字石田(現在の滋賀県長浜市石田町)です。三成の父は通称を藤左衛...
戦国時代

武田家と信玄について

歴史の話、戦国時代の事が続きます。今回は武田家と武田信玄について。武田家=信玄という印象が強いですが、信玄以外にも優れた武将がおり、しかもその歴史は戦国時代だけではありません。武田家は清和源氏の源義光の血を引いたれっきとした源氏です。源氏と...
真田家

真田家について 

歴史の話がなかなかできていませんね💦今日は久しぶりに戦国時代のお話し、真田家について話したいと思います。真田家と言えば、真田幸村の大坂の陣の大奮戦、その父の真田昌幸の家康を翻弄しまくった智略、そして昌幸の嫡男で幸村(信繁が本名)の兄である真...
浦賀と中島三郎助

浦賀奉行所 ①浦賀奉行所の創設期 海防と三浦半島の住民

浦賀奉行所と中島三郎助の話。浦賀奉行所の創設期の地元三浦半島の住民とのかかわりについて書いていきます。異国船が近海に現れる19世紀に入りますと、日本には異国船が頻繁に来航するようになり、幕府はその対応に苦慮するようになりました。ロシアのレザ...
渋沢栄一

渋沢栄一 ①少年時代 父・市郎右衛門

渋沢栄一の人格形成には、少年期の、とりわけ父・市郎右衛門の存在が大きかったように思います。その渋沢市郎右衛門についてみていきたいと思います。中ノ家の養子になった市郎右衛門渋沢栄一の父、渋沢市郎右衛門は、もともとは支族であった渋沢宗助の第三子...
石橋湛山

石橋湛山 おいたち 5⃣ 東洋経済新報社で再スタート

石橋湛山は「東京毎日新聞」に入社し、ジャーナリストとしてのキャリアをスタートしましたが、経営難もあって退社し、その尾後は徴兵検査を受けて入営しました。そこでの経験が、彼を反戦論者に仕立て上げ、それがやがて東洋経済新報社に入社して花開くことに...
幕末史

浦賀奉行所 ①浦賀奉行所の創設期 異国船への備え

浦賀奉行所と中島三郎助の話。まずは浦賀奉行所の歴史について触れていきます。浦賀奉行所が出来たのは、江戸時代の後期に入る享保5年(1720)でした。海の関所として浦賀奉行所は、江戸時代中期の享保5年(1720年)2月21日(旧暦)に新設された...
幕末史

河井継之助 その人物 1⃣ 徳富蘇峰の回顧から

歴史の話として、幕末に活躍した河合継之助についてお話しします。河井は、いわゆる佐幕側に属した人物で、徳川譜代の長岡藩牧野家の家老でした。彼は開明的で、攘夷を愚物と馬鹿にし、早くから開国と富国強兵の重要性を理解していました。おそらく、薩長側の...