アニメ「ドラえもん」のドラえもん役の声優として知られる大山のぶ代さんが、9月29日に老衰のため死去したことがわかりました。90歳でした。
大山さんと言えば、何と言ってもドラえもんの声で有名ですよね。1979年にテレビ朝日で放送が始まったアニメ「ドラえもん」は、毎晩必ず見ていましたし、そのドラえもんのインパクトは45年経った今でも忘れられません。
大山さんに謹んでご冥福をお祈りするとともに、大山さんとドラえもんの活躍を振り返りたいと思います。
大山さんの足跡
大山さんは1933年(昭和8年)10月16日生まれ、東京都出身です。幼少期から声に特徴があったようで、役者を目指し、俳優座養成所に入所しました。1956年にNHKドラマ「この瞳」でデビューします。
やがて、そのハスキーボイスが注目され、1957年9月放送の「名犬ラッシー」の吹き替えで声優としてデビューしました。そして何と言っても有名なのは、1979年にアニメ「ドラえもん」の主人公ドラえもんの声を担当し、2005年に勇退するまでの26年間、ドラえもんの声を全国に届けていたことです。
大山さんはドラえもんの印象があまりにも強いですが、他にも「サザエさん」の初代磯野カツオ役を担当するなど、アニメの黎明期を支えた声優でした。
2001年に直腸がんが発覚し、「ドラえもん」以外の仕事はすべて降板しました。入院を機に「ドラえもん」の降板に至ったのです。2010年には、悪戦ゲームがアニメ化された「ダンガンロンパ」で謎のぬいぐるみ型学園長「モノクマ」役を務め、5年ぶりの声優復帰を果たします。この役は人生で初の悪役だったそうで、話題を集めました。
女優としても、映画「思えば遠くへ来たもんだ」やドラマ「水戸黄門」などの人気作に出演。さらに料理研究家としての一面もあり、TBS「大山のぶ代の料理朝一番」という番組で料理を披露しました。加えて、脚本家やエッセイストとしてもマルチな才能を発揮し、幅広く活躍されました。
認知症を患う
私生活では、1964年に番組共演が縁でタレントの砂川啓介さんと結婚しました。砂川さんは2017年に大山さんを残して亡くなりましたが、亡くなる2年前の2015年5月に会見を開き、大山さんが認知症を患っていることを公表しました。その壮絶な介護生活を綴った著書「娘になった妻、のぶ代へ」では、「病気の君を置いて先には死ねないよ」と伝えていたそうです。
2016年からは介護施設に入所し、認知症は進行しているものの健康状態は良好で、合唱などの活動ではリーダー的存在として他の入所者との交流を楽しんでいたそうです。
しかし、今年に入ってから体調を崩しがちで、入退院を繰り返していたとのことです。最後は9月19日に入院し、静かに旅立ったそうです。
「僕、ドラえもん!」
いまだに私は「ドラえもん」の声と言えば、大山のぶ代さんのイメージです。水田わさびさんがダメだというわけではなく、少年時代にドラえもんをすこぶる愛していた私にとって、大山さんの「僕、ドラえもん!」の声が耳から離れないのです。
大山さんのドラえもんだけでなく、私の少年時代の「ドラえもん」の主な登場人物の声はいまだに焼き付いています。のび太、しずかちゃん、スネ夫、ジャイアン…。
のび太役の小原乃梨子さんが今年の7月に他界し、ジャイアン役のたてかべ和也さん、スネ夫役の肝付兼太さんもすでにこの世を去っています。現存するのはしずかちゃん役の野村道子さんだけになりました。
一つの時代が、本当に終わった気がします。すごく寂しい…。
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