小泉今日子さんは、今年でデビュー42年目を迎えていますが、この40数年間、常に日本の芸能シーンを彩り続けてきました。1980年代にはアイドルとして大活躍し、1990年代以降はドラマを中心に継続的に活躍。30代、40代になっても、妻や母といった役割にとらわれることなく、いわゆる「大人女子」を提唱するファッション誌のイメージモデルとしてそのムーブメントを牽引しました。そして、50代後半となった今も、芸能界に身を置きながら社会問題やフェミニズムに関する発言を積極的に行っています。
常に芸能界の中で一定の影響を与え続けてきた稀有な存在である小泉さん(以下、キョンキョンと呼びます)は、単なるアイドルや女優という枠にとどまらず、「女性が生きていく」ことに対して真剣に向き合い、常に世の中に発信し続けてきた印象があります。長年にわたり影響を与え続けてきたキョンキョンの魅力と影響力について、さらに掘り下げていきたいと思います。
「キョンキョン」の存在感
1982年にデビューしたキョンキョンは、いわゆる「花の82年組」の一人としてアイドル界に登場しました。デビュー当初は、その82年デビュー組の中でも特に際立った存在とは言えず、シブがき隊や松本伊代さん、やや遅れてデビューした中森明菜さんの後塵を拝していた感は否めませんでした。
キョンキョンがその存在感を発揮し始めたのは、翌1983年の半ば頃からです。いわゆる「聖子ちゃんカット」をバッサリとショートカットに変え、世間を驚かせました。また、「艶姿ナミダ娘」や「渚のハイカラ人魚」といった、いわゆるアイドル歌謡とは一線を画す楽曲を歌い始め、ドラマの主演もこなすようになると、その存在感は一層強まっていきました。
キョンキョンは、「いい子ちゃん」的なアイドル像を打破し、ものを言う・主張するアイドルとしての地位を確立しました。1985年末に発表した「なんてったってアイドル」という曲は、「アイドルを揶揄した」歌詞が非常に印象的で、アイドルであったキョンキョン自身が歌ったことで大きな衝撃を与えました。
90年代になると、基本的には女優としての存在感を増していきますが、1991年に発表した「あなたに会えてよかった」はミリオンセラーとなり、大ヒットを記録しました。この曲はキョンキョンが初めて作詞を手掛けたシングルで、アイドルだったキョンキョンが「脱アイドル」というよりも「アイドルを超えた」存在になっていった印象があります。
21世紀に入っても、その存在感は衰えることなく、個性的な存在として世間に絶えず話題を提供してきたキョンキョン。2012年のNHK朝ドラ「あまちゃん」では、能年玲奈さん(現在ののんさん)の母親役として再び脚光を浴びました。(それまでが「存在感がなかった」という意味ではなく、再びさらなる注目を集めたということです)
50代半ば頃、長年所属していた大手芸能事務所を退所し、自ら「明後日」という個人事務所を立ち上げました。この頃からは社会問題やフェミニズムについても積極的に発言するようになります。最近のキョンキョンの発言を聞くと、本当に腑に落ちる、納得させられることが多いです。芸能人として政治や社会問題について積極的に自らの意見を述べるのは勇気がいることですが、キョンキョンは忖度せず、的を射た発言をしています。
昔から魅力的なキョンキョンですが、50代半ばを迎えてますますその生き方や言動に引き込まれ、今後もますます注目していきたいと思いました。
10代の頃、東大のミスコンに違和感
フェミニスト的な発言を積極的にされているキョンキョンですが、実はデビュー当時の16歳の時点で、すでにフェミニズム的な視点を意識していたと言います。
1982年、デビューの年に東大の駒場祭のミスコンテストにゲストとして出演したキョンキョンは、「女性差別」を訴え、ミスコンに反対する人々を目の当たりにして、驚きと共に今までにない違和感を覚えたようです。
キョンキョンはその時、「なんだかこれは、とても重要な事が起こっているぞ」と思ったようです。
80年代当時、フェミニズムという言葉はまだ浸透しておらず、男女雇用機会均等法も存在しない時代で、女性は「会社に2、3年勤めた後は良いところに嫁ぐ」といった昭和的な価値観が色濃く残っていました。そんな時代に「花の82年組」としてデビューしたばかりの16歳のキョンキョンが、ミスコンに違和感を覚えたことは、その先見性に驚かされます。
しかし、これこそが「小泉今日子=キョンキョン」の原点と言えるでしょう。この「違和感」から、キョンキョンの快進撃が始まったと言っても過言ではありません。聖子ちゃんカットからカリアゲショートに変え、自分の好きな衣装を身に付け、様々なジャンルの歌を歌い、様々な役を演じることで、表現者としての自分を新しいステージへと押し上げていきました。後年には、エッセイを通じて自らの意見を率直に(されど穏やかに)発信するようになりました。これらは、従来のアイドル像からの脱却と闘争であったと言えるでしょう。
同世代の中森明菜さんや松田聖子さんは、歌手として大成し、むしろキョンキョンを遥かに超えた面があります。しかし、彼女たちは「アイドル」という枠から完全に抜け出すことはできず、その枠の中で苦しみながら懸命に生きている様子が見受けられます。
一方、キョンキョンはひらりとアイドルを超えた感があります。もちろん、そこに至るまでの過程は簡単ではなく、キョンキョンなりの苦闘があったはずです。しかし、その「苦闘」を感じさせないところがキョンキョンの魅力であり、表現者としての凄さだと思います。
10代から20代にかけて、キョンキョンにフェミニズムという意識があったかどうかは定かではありませんが、彼女はなんとなくフェミニズム的なものに憧れ、それに対して軽やかに異議を唱えたといえるでしょう。それが結果的に、型破りなアイドル像を築き、誰にも真似できない、唯一無二の小泉今日子=キョンキョンという評価につながっていったのだと思います。
キョンキョンを自由にさせた「言語化」の力
アイドルとして活躍し、歌手や女優としても多くの成功を収めたキョンキョンですが、表現者としての大きな飛躍は20代だったと思います。おそらくその時期が最も多忙だったでしょうが、キョンキョンは振り返って「決して楽しくなかった」と語っています。
30代を目前にして結婚を迎えたキョンキョンは、奔放な考えではなく、当時の社会には「女性は30歳までに結婚すべき」というムードが漂っており、その呪縛から逃れることができなかったようです。結婚を機に「仕事を辞めた方がいいのか」と真剣に考え、当時の夫である永瀬正敏さんにも相談したそうです。結局は仕事を続ける決断をしましたが、その選択は「辞める」という強い覚悟からではなく、続けることへの強い意志からでもなかったようです。キョンキョン自身の中に確固たるものがあったわけではないようです。
しかし、キョンキョンは30代、40代を重ねるにつれて、次第に楽しさを感じるようになったと語っています。その理由として挙げているのが、「考えを言語化する際に、昔よりも自由になった」ということです。
キョンキョンは20代からエッセイを書き始め、30代には書評を書くようになりました。特に、読売新聞の読書委員になってからは、読む本の幅が広がり、自身の考えも広がったと言います。その中には、女性の生き方やフェミニズムに関する本も多く含まれており、16歳の時にミスコンで抱いた違和感と相まって、さらに考えを深めていったのでしょう。当時に何となく感じていた違和感を言語化できるようになり、結果的に若い頃よりもより良く生きられるようになったのではないでしょうか。
フェミニズムの影響を受けたキョンキョンが、エッセイや書評を通じてその思いを発信することは極めて重要です。これからも社会問題やフェミニズムに対して、厳しくも温かく柔らかい表現で発言していくことと思います。
オンリーワンなキョンキョン
私は80年代のアイドルが好きで、特に中森明菜さんが好きでした。一方で、キョンキョンには特別な魅力を感じておらず、「個性的な人だな」という程度の印象を抱いていました。
しかし、年々様々な歌やドラマの演技を見ていくうちに、さらにはエッセイや書評を通じて彼女の発言に触れるようになると、徐々にファンになっていきました。
歌としては、「木枯らしに抱かれて」「学園天国」「スマイルアゲイン」「あなたに会えてよかった」などが特に好きです。印象に残ったドラマは、「あまちゃん」や「最後から2番目の恋」などです。ドラマをあまり見ない私ですが、特に「最後から2番目の恋」は、中井貴一さんとの共演が面白く、最後まで見ました。
キョンキョンは、誰にも真似できない、比較することも不可能な「稀有な存在」です。「オンリーワン」という言葉は、まさにキョンキョンにこそ相応しいでしょう。
これからも鋭い発言をすると同時に、素晴らしい表現者としての活躍を期待しています。9月からは、小林聡美さんと共演するNHKプレミアムドラマ「団地のふたり」が放映されています。私は部屋にテレビがないので見ていませんが💦、同年齢の小林さんとキョンキョンの共演はとても魅力的ですし、ドラマの内容も「団地の実家で暮らす50代独身女性」というもので、庶民の視点で、現在の社会問題にも沿った内容のようです。キョンキョンの視点が社会全体に向けられている証拠だと言うのは、大げさでしょうか。
キョンキョンの魅力と活躍については、これからも時折ここで書いていきたいと思います。
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