以前、金沢八景~文庫の散歩コースを当ブログにおいて紹介しました👉金沢八景~文庫散歩
そのコースで立ち寄る場所の、より詳細な情報を紹介します。今日は「称名寺」と「金沢文庫」です。両者は隣接しており(というか、称名寺内に金沢文庫がある)双方とも見学を併せてすべき場所だからなのです。
称名寺について
1⃣ 北条実時の建立
称名寺の正式名は「金沢山称名寺(きんたくさんしょうみょうじ)」です。「金が沢山」とは誠に縁起が良い山号ですね。
この地に寺を創建したのは、北条実時です。彼は釜利谷殿とも呼ばれた北条実泰の子で、執権・北条義時の孫にあたります。幕府の要職にあった実時が、領内の金沢に別邸を構えたのは正嘉2年(1258)ごろです。このころに亡母の七周忌に際して邸内に小さな持仏堂を立てたのが、称名寺の始まりのようです。やがて大きな寺院となり、僧侶が多く住むようになります。
最初は念仏の寺だったようですが、間もなく奈良西大寺の叡尊の教化で真言律宗に改宗し、下野の薬師寺から審海上人を開山として迎えます。それからの称名寺は目覚ましい発展を遂げていきます。
2⃣ 壮大な七堂伽藍
実時の後を継いだ二代顕時から三大貞顕の代になると、「称名寺絵図」に見られるような七道伽藍を構えた大寺院に発展します。全国から多くの学僧が訪れ、寺領も房総各地をはじめ遠く因幡(鳥取県)にまで及びました。特に三代貞顕は、京都の六波羅探題を経て第15代執権になった人で、この頃が金沢氏や称名寺の全盛期でした。
しかし、金沢北条氏は栄華の頂点から崩壊への坂を転げ始めます。元弘3年(1333)5月、新田義貞軍の鎌倉攻めのとき四代貞将は討死し、貞顕も葛西ヶ谷の東勝寺で北条高時とともに自害を遂げます。
3⃣ 衰退と復興
北条氏一族の滅亡により、後援者を失った称名寺は急速に滅亡の途を辿ることになります。そしてその間の歴史はあまり明らかではなく、滅亡から300年経過した江戸時代の寛永10年(1633)、称名寺を訪れた沢庵和尚が無残に荒廃した称名寺の様子を、紀行文「鎌倉巡礼記」に書き留めています。
大正11年(1922)に境内地が国史跡に指定されても荒廃が止むことはなく、ようやく昭和47年(1972)に金沢三山などが追加指定されたのを契機に復元が検討され、同53年から10年の歳月をかけて苑池復元の作業が進められました。
朱色が鮮やかな反橋・平橋の架かる阿字ヶ池には錦鯉が悠然と泳ぎ、現世に極楽浄土が見事に再現された形です。
桜の季節、この場所は最高です。フォトジェニック的に映えますね。
金沢文庫
称名寺を建立した北条実時(金沢北条氏・初代)は、幕府の評定衆などの要職にありましたが、病気がちな事もあり、建治元年(1275)に職を辞して金沢に引きこもりました。
学問好きの実時は、永年にわたって集めた和漢の書を多数所蔵していました。金沢に引退する際、それらの蔵書類を収蔵する建物を作ったのが金沢文庫の始まりだと言われています。
書庫を立てた場所は、実時の邸宅から小山を越えた西隣の谷で、自宅と文庫の間にトンネルを掘って行き来していました。これは、鎌倉に住んでいた時、大切にしていた書籍群を二回も火災で焼失してしまったため、その苦い経験からの防火対策でした。
文庫ヶ谷と呼ばれるこのトンネルは現存しています。称名寺側から入っていくと、現在の金沢文庫が建っている位置になります。
こことは別の位置に「素掘りのトンネル」も残っています。
金沢文庫の発展と衰退
実時の死後も、書物の収集や学問の研究は子孫に引き継がれ、次第に充実していきました。金沢文庫の名は全国に広まり訪れる武将や文人も増え、「徒然草」の著者・兼好法師もその一人と言われます。
金沢文庫は、単に図書館としてだけではなく、講座を開くなど活発な教学活動もしていたため「金沢学校」とも呼ばれました。称名寺には常時100人以上の僧侶がいたとされ、金沢の地は鎌倉幕府のまさに文教の地でした。
しかし北条氏の滅亡によって、支援者を失った文庫は急速に衰退する。建物は朽ちるに任せ、貴重な蔵書類は、称名寺に移して管理されたようですが、その散逸は著しかったようです。上杉憲実や北条氏康など時の権力者によって持ち出されたものも多く、徳川家康は江戸城内の富士見亭文庫にまとまった数を移しています。
金沢文庫復興への第一歩は、明治30年(1897)に伊藤博文や横浜の実業家・平沼専蔵らの尽力によってはじめられました。昭和5年には、神奈川県が昭和天皇即位の大典記念事業の一つとして、図書館と博物館の機能を持つ金沢文庫を復興しました。
さらに平成2年4月に再び金沢文庫が新装開館されました。現在、文庫には約2万点にのぼる古書、古文書、美術工芸品類が収蔵されていますが、このうち国宝・重要文化財が実に百余点にも及んでいます。資料の大半は鎌倉時代のもので、まさに中世史研究の一大宝庫です。
同文庫では中世に限らず、地元金沢に関する資料展示や講演会など随時開催されています。これらの資料を身近に触れることのできる金沢区民にとって、金沢文庫は胸を張って誇れる文化のシンボルとなっています。
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