散歩コース 金沢八景~文庫 名所紹介 ⑤染王寺

散歩

以前、金沢八景~文庫の散歩コースを当ブログで紹介しました👉 金沢八景~文庫散歩

今回は、そのコースで立ち寄る場所について、さらに詳細な情報をお届けします。今日は5回目になりますが、「染王寺」になります。

野島山にあった染王寺

野島に入ると、一番最初の大きな寺院が湖の染王寺です。古くは「善応寺」と記されていましたが、いまは染王寺と書いて、地元の人たちは「ぜんのうじ」と呼んでいるそうです。

真言宗御室派に属し、山号を野島山と言い本尊は聖観音菩薩。創建は永徳2年(1382)に比丘尼了意が、応永12年(1405)には義円和尚が野島山に小庵を結んだのが始まりと言われます。のち、建物が強風で壊れたので現在地に移ったと言われています。

※ 比丘尼とは尼のことです。

寺子屋で読み書きとそろばん

現代の学習塾にあたる寺子屋は、江戸時代後期には全国で1万5千以上もあったそうです。特に寛政期以降になると、江戸・大坂・京都などの都市はもちろん、農漁村でも急激に増加しました。染王寺もその寺子屋がった場所の一つです。

もともと、寺で子供の教育をしたことが始まりです。生徒を寺子と読んだため寺子屋というようになりましたが、手習子とか筆子ともいいます。8,9歳ころに入学し、修業年限は3~5年。学科は「読み・書き・そろばん」で、女子はこのほかに裁縫や生け花を習っています。

染王寺には、それを伝える「筆子塚」があります。教えを受けた筆子たちが、恩師である住職の為に建てた追善供養塔四基で、うち二基が染王寺、二基は正覚院住職のものです。

元禄元年(1688)から享保16年(1731)にかけての建造で、それぞれの墓に「施主・手習子」などの銘が刻まれています。

寺側の協力で四基の墓石は境内の一画に移され、そこに塾生たちによって「筆塚」と刻んだ供養碑が建てられました。この筆子塚は、平成5年に横浜市地域文化財史跡に指定されました。

※※※ このサイトは、アフェリエイト広告を掲載しております ※※※




ブログをライフワークにしてお金と自由を生み出す方法 [ 中道 あん ]

価格:1705円
(2024/9/15 12:26時点)
感想(0件)

コメント

タイトルとURLをコピーしました