私もそうですが、SNSに投稿した内容に「いいね」や「コメント」がつくと嬉しいですよね。自分が食べたものや行った場所、ふとした呟きに反応があると、励まされたり賛同されたりして、心が温かくなることがあります。それが投稿する目的そのものになっている場合もあるでしょう。
しかし、そんな風潮に対して「ちょっと違うんじゃないか?」とはっきり意見を述べた方がいます。それがタレントのふかわりょうさんです。
ふかわりょうさんの呟きから
ふかわりょうさんの呟きが見れたのは、SNSのXからです。
どの紙上のものかは不明ですが。
ふかわさんは、旅行に行くときにカメラを置いていこうと思ったそうです。それは、「撮ることに気を取られて、旅そのものを楽しめなくなっていることに気づいたから」というものです。
あ、これ、私だ!私自身もまさに「撮影して、ブログやSNSに投稿すること」が最大の目的となってしまっていました。
素晴らしい場所を訪れても、撮影だけに気を取られ、その場所をじっくり実感しないまま立ち去る――そんな旅行を、この20年近く続けていたのかもしれません。旅行の記録や訪れた史跡のことをブログやSNSに投稿し、皆さんに見てもらうこと、そしてアクセス数を増やすこと。もちろん、それだけが目的ではありませんでしたが、その過程で自分の「承認欲求」を満たしていたことは否定できません。
「映える」文化
今の日本、いや世界中のあちこちでも同じかもしれませんが、「映える」文化が蔓延していますね。この記事でふかわさんもおっしゃっているように、「日常を切り取る行為は、後々振り返るためというよりも、『いいね』を獲得するため」と。生活感や季節感の有無に関係なく、「映える」場所を求めて東奔西走する姿は、冷静に振り返るとどこか滑稽にも思えます。
こうした「映える」ことを追求するのは、今を誰かと共有したり報告したりするためではなく、ただ「いいね」が欲しい、つまり承認欲求を満たしたいだけの行為ではないでしょうか。
ふかわさんは、これらを「不安の裏返し」だと指摘しています。「自分の人生が幸せだと実感したい。みんなに幸せな自分を見てもらいたい」という気持ちの表れではないか、と。
しかし、本来、自分が幸せかどうかを決めるのは周囲ではないはずです。自分自身が幸せを実感していれば、それで十分なはず。それを他者に認めてもらいたいという心理が働くのは、やはり自分自身の幸せの実感が薄いか、あるいは本当に幸せなのかどうか不安を抱えているからではないでしょうか。
ふかわさんは最後にこう締めくくっています。「私は『いいね』はいらない。人の『いいね』よりも、自分の『いいね』がひとつあればいい」「そもそも、人生にいいも悪いもない。」と。このように言い切れるふかわさんは、本当に素晴らしいと思います。できれば私もそうありたい――そう思うのですが、現実はなかなか難しいですね。
自分のSNSでの体験
ここからは、私自身の経験に置き換えてお話しします。30代目前でインターネットというものに出会うまでは、私は会社組織の中でもほとんど友人がいませんでした。また、他の場所でも、例えば幼馴染との交友もなく、ほぼ孤独な状態でした。
そんな私が、インターネットを通じて友人や知人と知り合うようになると、SNSを中心としたネットの世界が次第に生活の一部に――いや、完全に生活の中心となっていきました。そして50代を過ぎて早期退職した後は、仕事の面でもインターネットなしでは何もできない状態に。今では、ネットに支えられた毎日を送っています。
私のように、もともとリアルでの友人や知人との関係が希薄な人間は、どうしてもネット上の交友が増えがちです。そして、そこでの意見交換や写真の投稿を通じて、知らず知らずのうちに「承認欲求」を満たそうとするようになります。ただ、それが時に虚しさを感じさせることもあるのです。
退職後、かつての職場の人たちとの交友はほぼなくなり、家族以外の付き合いは完全にネットで知り合った人たちだけになりました。そうなると、自然とネット上のやり取りに比重が置かれがちですが、私はなるべくそうならないよう努めています。散歩や山登り、食事会などを通じて、「リアル」な人間関係を大切にしているつもりです。
ネットだけのやり取りは、実に危険というか、どこか空しいものがあります。もちろん、ネットでの交流が全く無意味だとは思いません。むしろ、そこから得られるものも確かにあります。しかし、リアルで築いた交友関係に比べると、そのつながりはどうしても脆弱で、信頼性も薄いと感じます。
昨今の世の中では、SNSで刺激的で直接的な発言を受け、それを信じてしまう傾向が広がっています。それは決して他人事ではありません。この私も、その影響を強く受けていると感じることがあります。先日も、X(旧Twitter)上で突然メッセージが届き、やり取りをしているうちに自分の「悩み」を伝えると、「こうすればいいから、一度話を聞きたい」と誘われました。そして、実際にその場に行くと、「こういうスクールがあります。〇✖万円を払えば…」という話に誘導されそうになったのです。
幸い、私はその場で断りましたが、その時感じたのは「騙された」という怒りではありませんでした。むしろ、SNSで直接的な言葉を簡単に信じてしまった自分自身に対する驚きと呆然とした気持ちでした。
このブログやnoteを続けるにあたって
先ほどの話は、承認欲求とは少し違うかもしれません。しかし、SNSが一方通行的な性質を持ちやすいという点では、やはりその使い方や信頼性について慎重に考える必要があるのではないかと思いました。
私は、mixi、X(旧Twitter)、Facebook、LINEなど、さまざまなSNSを利用しています。時折投稿をして、いいねが多ければ嬉しいと思いますが、今ではそんなことに一喜一憂するのはやめようと心がけています。
とはいえ、ブログやnoteの運営に関しては、やはりある程度の反応が欲しいと思うのも事実です。少し矛盾しているかもしれませんが、ブログは収益につながりますし、noteでは多様な意見交流や新たなインプットが得られるため、少しでもその窓口を広げたいという思いがあります。
ただ、それを承認欲求に結びつけるべきではないとも考えています。自分が認められなくても、それはそれで構わない。一方で、自分を認めてくれる人がいれば、その人たちを大切にしたい。そんなブログやnoteを目指しています。
収益という点では、追い求めたい気持ちはありますが、それ以上に自分が発信したいことを第一に考えています。おそらく、ブログで成功している人たちからは「甘い」「間違っている」と言われるかもしれません。しかし、私は自分のスタイルを大切にしたい。それがバズればラッキーだし、そうならなくても仕方ありません。別の方法でギリギリでも生計を立てていけば良いと割り切っています。(そもそもまだ、生計を立てる稼ぎにはほど遠いですけどね💦)
何より、自分自身の軸を第一に据え、それを曲げないことが大切だと思います。受けるため、儲けるために自分を崩す必要はない――これは、SNSの承認欲求に限らず、あらゆる面で通じる考え方ではないでしょうか。
ふかわりょうさんのように、自分らしさを貫くシンプルな生き方。そのかっこよさに憧れます。
※※※ このサイトは、アフェリエイト広告を掲載しております ※※※
ブログをライフワークにしてお金と自由を生み出す方法 [ 中道 あん ] 価格:1705円 |
コメント