イトーヨーカドーの閉店が相次ぐ 悲しい 日本の高度経済成長の象徴的存在

時事ネタ

最近、大手スーパーイトーヨーカ堂の閉店が相次いでいます。私が住んでいる神奈川県でも、先月18日に横浜市港北区の綱島店が閉店しました。その際、多くの常連客や地域住民が集まり、「ありがとう」の掛け声や拍手が鳴り響いたそうです。

また、私が生まれ育った藤沢市のイトーヨーカドー藤沢店も、来年1月に閉店すると聞き、非常にショックを受けています。同じく来年1月には、茅ケ崎店も閉店すると言われています。昭和末期から平成の時代にかけて、多くの買い物客を惹きつけ、一時代を築いたヨーカ堂の閉店に、私だけでなく多くの人が深い悲しみを覚えているのではないでしょうか。

イトーヨーカ堂の閉店が相次ぐ理由については、赤字体質からの構造改革の一環とされています。しかし、その背後には平成以降の新たな時代に対応できなくなったヨーカ堂の問題も潜んでいるようです。

「ありがとう」の声や拍手鳴りやまず

神奈川県横浜市港北区にある「イトーヨーカドー綱島店」が8月18日に閉店し、42年の歴史に幕を閉じました。港北区綱島は首都圏でも有数のベッドタウンで、大勢の客が見込まれる地域でした。そのヨーカドーが閉店すると聞き、最後の姿を見ようと広場には多くの近隣住民が押し寄せ、「ありがとう」の声や拍手が鳴りやまず、「人気バンドの解散ライブ状態」とネット上でも話題になっていました。

綱島駅から徒歩5分の場所に位置し、1982年に開業した綱島店。日本の経済が絶頂期にあたる頃にできたこの店が、日本経済が衰退する現在に閉店するというのは、イトーヨーカドーが日本の経済成長と衰退の時期と同時に存在していたかのようです。

利用者からは、「すごく寂しかった。実家がなくなるような感じ。ヨーカドーで待ち合わせをしたり、広場が良かった」と、閉店を惜しむ声が聴かれました。

実は、イトーヨーカドーは2024年だけで関東地区においても8店舗の閉店が決まり、順次営業を終了しています。その中には、私が幼い頃から毎日のように通っていたイトーヨーカドー藤沢店も含まれています…。

イトーヨーカドー藤沢店、2025年1月に閉店

藤沢店は、藤沢駅南口近くに1974年6月に開業しました。地下2階、地上6階建てのその店舗は、当時の藤沢市街地で最もにぎわった商業施設の一つでした。

私の幼い頃の話で恐縮ですが、当時の藤沢駅南口は私と家族にとって絶好の買い物エリアでした。特によく訪れたのは「OKストア」とこの「イトーヨーカドー藤沢店」でした。イトーヨーカドー藤沢店ができてからは、こちらに足を延ばすことが増え、衣料品や食品、おもちゃなど多くのものを購入し、また外食もレストラン街で済ませることが多かったです。1980年代に入ると、イトーヨーカドー藤沢店の周囲には「東急ハンズ」や「マクドナルド」ができ始め、発展していく藤沢駅南口の象徴として、キラキラと輝いている印象を受けました。

その藤沢店の閉店は、本当にショックで残念です。来年1月13日に閉店する同店では、ホームページや店頭に告知を掲示するなどして正式に発表する予定です。これで50年の歴史に幕を閉じることになります。

イトーヨーカ堂の歴史

昭和後期から平成の時代にかけて、日本のスーパーを代表する存在ともいえたイトーヨーカドー。その歴史を簡単に振り返ります。

イトーヨーカドーの前身である「羊華堂洋品店」は1920年、東京・浅草に誕生しました。創業者は吉川敏雄で、後にイトーヨーカドーを立ち上げる伊藤雅俊の叔父にあたります。戦後、雅俊はこの用品店を引き継ぎ、足立区千住で羊華堂の事業を再開しました。そして1948年に法人化し、1965年には「株式会社・伊藤ヨーカ堂」を設立し、店名も「イトーヨーカドー」となりました。イトーヨーカドーは日本の高度経済成長期の真っただ中に生まれ、その中で出店攻勢を続け、大きく営業を拡大していきました。

1970年代には業務提携に積極的に動き、札幌の「山の手ストア」や長岡の「丸大」、平塚の「ダイクマ」などと手を組み、これらの提携を通じて、主に東日本(関東・東北・北海道)に店舗を集中させる戦略で成長を重ねました。

イトーヨーカドーの出店攻勢方法は、ダイエーと比較されることが多く、「拡大のダイエー」に対して「集中のイトーヨーカドー」と言われていました。イトーヨーカドーは出店地を慎重に選び、なおかつ近隣地域に多数出店するドミナント方式を採用し、その地域でのプレゼンスを高める戦略をとっていました。

また、イトーヨーカドーは「駅前出店」を基本にしています。駅前の一等地に大きな店舗を構え、集客を狙うスタイルです。そのため、かつては出店にあたり地元商店街や地域の小売店とのトラブルが多く、1986年には『イトーヨーカドー残酷物語』という書籍が出版されるほどでした。

しかし、平成に入ると移動手段が鉄道から車へと徐々に移行し、いわゆる車社会が進行しました。それに伴い、小売店も変化を遂げます。「イオン」は「イオンモール」を中心にロードサイド沿いにモールを展開し、全国各地にイオンモールが誕生しました。2004年には、イトーヨーカドーの利益率を抜いて業界トップに躍り出ます。現在ではイオンが、日本人にとって欠かせない商業施設となっています。

イトーヨーカドーの強みは、食品から衣料品、雑貨まで多種多様な商品を一つの場所で提供することでしたが、その強みがイオン代表のショッピングモールによって模倣され、競争で劣位に立つようになりました。ここにきて、駅前立地が利点だったイトーヨーカドーの厳しい状況が明らかになってきました。イトーヨーカドーは、時代の変化に適応できなくなってしまったのです。

イトーヨーカ堂閉店が相次ぐ理由

イトーヨーカ堂は、綱島店や藤沢店だけでなく、関東では8店舗の閉店が決まり、全国では来年2月までに20店舗の閉鎖が決まっています。最終的には、北海道と茨城県を含む6つの県で「イトーヨーカドー」の姿が消えることになります。

イトーヨーカ堂の閉店が相次ぐ理由をまとめてみました。

  1. 赤字体質: 長年の経営不振や赤字体質が続き、収益性が低下していることが大きな要因です。赤字を続ける店舗を維持することは経済的に難しく、閉店やリストラが行われています。
  2. 消費者の購買行動の変化: インターネット通販の普及や、他の競争力のある小売業者の台頭により、従来の大型店舗型のビジネスモデルが厳しくなっています。特に、近年では「買い物のスタイル」が変わり、店舗の利用頻度が減少しています。
  3. 市場の飽和: 一部地域では競争が激化しており、市場の飽和状態が問題となっています。その結果、売上が見込めない店舗の閉店が進んでいます。
  4. 構造改革: 企業全体での構造改革の一環として、利益を生まない店舗の閉店やリストラが行われている可能性があります。これにより、資源をより収益性の高い店舗や事業に集中させようとしています。
  5. 地域経済の変化: 地域によっては人口の減少や経済の変動が影響を及ぼし、店舗運営が困難になることがあります。特に地方の店舗では、これらの影響が顕著です。

イトーヨーカ堂は、私の幼い頃の心の支えでした。その存在が私の成長と共にあり、多くの思い出が詰まっています。衣料品や食品を購入したり、家族で食事を楽しんだりしたその場所が、今はなくなるというのは本当に寂しいです。イトーヨーカ堂の店舗が閉店するというニュースを聞くたびに、心にぽっかりと穴が開いたような気持ちになります。その思い出が詰まった場所がなくなるのは、単なる店舗の閉店以上の意味を持つのです。

イトーヨーカ堂の再生計画

では、イトーヨーカ堂はこのまま廃れてしまうのでしょうか?考えられる限りのイトーヨーカ堂の再生計画をまとめてみました。

デジタル化の強化

  • Eコマースの拡充: オンライン販売を強化し、使いやすいウェブサイトやアプリを提供。
  • デジタルマーケティング: SNSや広告でブランド認知度を高める。

店舗のリニューアル

  • 店舗の見直し: 現代の消費者に合わせた店舗作りを実施。
  • 効率化: 在庫管理や業務プロセスの最適化。

商品ラインナップの改善

  • 商品見直し: 人気商品や地域特有の商品を追加。
  • プライベートブランド: 独自の商品で差別化を図る。

顧客体験の向上

  • パーソナライズ: 顧客データを基に特典やキャンペーンを提供。
  • 店内体験: 接客の質を向上させ、快適なショッピング環境を提供。

地域密着型戦略

  • 地域との連携: 地元イベントや活動に参加し、地域との絆を深める。
  • 地域ニーズ: 各地域に合った商品やサービスを提供。

経営体制の見直し

  • 経営陣の再構築: 柔軟で迅速な意思決定ができる体制を整備。

このような計画があれば、イトーヨーカ堂は再生し、競争力を取り戻すことができるかもしれません。厳しい道のりではありますが、再生することに期待したいです。

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