散歩コースの紹介、第5回目です。今回は「碑文谷~自由が丘」というコースの散歩です。
主なコース
学芸大学駅~学芸大学商店街巡り(西口と東口)~碑文谷公園~サレジオ教会~円融寺~碑文谷八幡宮~すずめのお宿緑地公園~桜森稲荷~岡田家長屋門~立源寺~自由が丘スイーツフォレスト~自由が丘駅解散
学芸大学から碑文谷界隈って、高級住宅街だよね?
結構、歴史的な史跡が多いの?意外な感じもするよね。
楽しみだわ♪
碑文谷公園は河川の水源
まず、学芸大学から徒歩10分ほどで「碑文谷公園」にたどり着きます。
碑文谷公園
1933年11月15日に碑文谷公園として開園しました。
公園の中心に位置する「碑文谷池」は、古くから水田灌漑用の貯水池として維持・管理されてきた池で、地元の人々にとっては欠かせない存在でした。
また、この池が立会川の水源となっています。
5月頃になると、薔薇などが咲き誇り、とても映えますよ✨
君はバラバラ~っ♪
君はバラより美しい~って口説いてもらいたいもんだわ💛
あ、そういう場所じゃないってか💦
碑文谷の地名の由来
では、この土地がなぜ碑文谷というのかをご紹介します。
まず、この地はかつて「荏原郡碑文谷郷」(碑文谷村)と呼ばれており、その名前に由来します。
碑文谷の由来にはいくつかの説があり、ひとつは碑文谷八幡宮稲荷社に保存されている梵字を刻んだ「碑文石」がある谷(里)や、秘文の谷(里)から来ているという説です。また、鎌倉・室町期から盛んだった檜の加工品「檜物(ひもの)」作りが由来とする説もあります。
あのスーパーアイドルも結婚式を挙げた教会!?
その後、碑文谷公園から少し歩き、とある教会へ。はい、こちらはカトリック碑文谷教会です。サレジオ教会の別名でむしろ有名ですよね。
「江戸のサンタ・マリア聖堂」としてサレジオ会により1954年建立されました。
36m余の鐘塔を備えたロマネスク様式の大聖堂で、1708年に来日し、小石川切支丹屋敷にて死去した、宣教師ジョヴァンニ・シドッティを偲ぶカルロ・ドルチのマリア像「悲しみの聖母(江戸のサンタ・マリア)が内部に掲げられています。
鐘はミラノの信者から寄付されたもので、ラ・ド・ミの美しい音色を奏でる
そして、この教会は多くの有名人や著名人が挙式をあげたことで知られています。
最も有名なのは、松田聖子さんと神田正輝さんが1985年6月24日に挙式をあげたことです。いわゆる「聖輝の結婚」として報道されていましたね。
また、1993年8月1日には、サッカー界の生きる伝説・キングカズこと三浦知良選手と設楽りさ子さんが挙式をあげています。
聖子ちゃん、サレジオ教会で挙式をあげたんだね。
私はまだ生まれていなかったから、全く知らないけど。
碑文谷八幡宮
そして、碑文谷八幡宮に差し掛かります。ここは鎌倉時代の名将・畠山重忠ゆかりの寺院です。
碑文谷八幡宮
鎌倉時代の武将で源頼朝に仕えていた畠山重忠の守護神を祀っています。重忠が二俣川にて北条義時の軍に討たれた後、その臣榛沢六郎が交付し宮野佐近がこれを守護神として奉祀したといわれています。
また、碑文谷の地名の起こりとなった碑文石が保存されています。創建は不詳。一之鳥居から二之鳥居までの参道が桜並木となっていて、桜の季節は美しい名所として知られています。
んで、畠山重忠って誰?
畠山重忠とは?
源頼朝の御家人として知勇兼備の武将とされた人物です。
『源平盛衰記』によると、源頼朝の挙兵にあたり当初は平氏側について敵対しましたが、その後、頼朝に従う際「平家は一旦の恩、源氏は重代の恩」と述べて、先祖・平武綱が源義家(八幡太郎と称した頼朝の祖先)より賜った白旗・白弓袋を差し上げて頼朝の陣営に赴き、頼朝は大層喜んだといいます。
重忠は先陣を命じられて相模国へ進軍し、頼朝の大軍は抵抗を受けることなく鎌倉に入りました。
他にも、頼朝の大倉御所への移転や、「鶴岡八幡宮」の参詣の警護などといった件で『吾妻鏡』内に名を見る事ができ、武蔵国留守所惣検校職として国内武士団を統率する立場にありました。
清廉潔白な人柄で「坂東武士の鑑」と称された程でした。
すずめのお宿緑地公園
そして、碑文谷八幡宮の裏手にあたる場所に、「すずめのお宿緑地公園」があります。
すずめのお宿緑地公園
この一帯は住宅地になる前までは農村で特に竹林が多く、目黒附近はタケノコの産地として有名でした。タケノコの生産は昭和初期まで続き、竹林にすずめが多く飛び交うことから、「すずめのお宿」と言われるようになったそうです。
やがて付近が宅地へと変わっていき、たけのこの生産も見られなくなってきました。そのような中、地元の一住民の遺志により、没後自身の所有地が寄付されることになります。そして、目黒区により公園として整備され「すずめのお宿緑地公園」として1981年に開園しました。
なお、古民家は栗山重治氏の旧宅。栗山家は江戸期には代々年寄を襲名していまし。(年寄とは名主を補佐する役目)
円融寺
すずめのお宿緑地公園から少し離れますが、都内でもかなり古い建築である円融寺は見落としてはいけない場所です。
円融寺
今から約1150年前、平安時代の仁寿3年(853)、慈覚大師による創建と伝えられる天台宗の古刹。鎌倉時代の弘安6年(1283)日蓮聖人の高弟日源上人により妙光山法華寺と改号し、日蓮宗時代が江戸中期まで続きます。
寺運が最盛期をむかえたのは、日源上人五重石塔(目黒区指定有形文化財)の建立や梵鐘(飯田善兵衛作・国の重要美術品)が鋳造された寛永年間前後で、当時は3万7千余坪の境内に十八の坊舎を擁し、その末寺は75ケ寺を数え、寺領19石の朱印状を与えられ、将軍の鷹野の折りには、休み所に供されたという程に江戸近郊屈指の名刹となりました。
ところが、法華経信者以外とは布施を受けず、施さずという不受不施派を堅持したため、幕府の忌諱するところとなり、当時の住職は八丈島に遠島を申しつけられました。
元禄11年(1698)に天台宗に復帰し、東叡山寛永寺の末寺となり、現在に至ります。天保5年(1834)に現在の山号寺号の経王山圓融寺に改められました。
本堂釈迦堂は、室町時代初期の建立と推定される、都内では2番目に古い木造建築です。
自由が丘へ
ここからひたすら自由が丘方面へ歩いていきます。こちらの寺院、「立源寺」さんになります。
立源寺
長昌山立源寺は、寛永元年(1624)日運上人により開基された日蓮宗の寺で、元は碑文谷法華寺(現、円融寺)の末寺でした。しかし、元禄11年(1698)に法華寺が江戸幕府によって日蓮宗から天台宗に改修された後は、身延山久遠寺の末寺となり今日に至ります。
境内には他に鬼子母神堂、鐘楼殿、納牌殿等があります。また、2月上旬には修行のために水を浴びる水行式が行われています。(目黒区教育委員会掲示より)
本堂に安置されている「木造三宝尊像」(区指定有形文化財)は日蓮宗独自のもので、その中でも優れたものといわれています。中央に「南無妙法蓮華経」と記された中尊があり、左右には釈迦如来坐像と多宝如来坐像が蓮華座上に結跏趺坐しています。像底に法華寺の名と法華寺第十三世日晴上人の署判があることから、法華寺より移されたものだとわかります。三宝尊像の前には弘化2年(1845)作の「木造文殊菩薩像・普賢菩薩像」(区指定有形文化財)が安置されています。
そういえば、この散歩の間全然食べ物屋さんが出てこないんだけど…。
お腹空いたよ~何かないの!
はいはい、散歩の最後まで待たせてごめんよ~っ。(笑)
こちらの、自由が丘スイーツフォレストでスイーツを召し上がってください💛っこちらは、日本初のスイーツのテーマパークとして、2003年にグランドオープンしました。
韓国系のスイーツショップが多いですね。私はこの「ホットク?」を食べました。ほっとけ!
つ、つまらなすぎて…。
ってかエーショー、ギャグ封印するんじゃなかった?
す、すみません、つい持病が…( ;∀;)
という感じの散歩です、締まらない感じで終わってごめんなさい。だいたい3時間もあれば歩けますよ。
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