金や地位がある人間がまともとは限らない 貧困している人間が狂う可能性が高いとは言えない

時事ネタ

先日、北九州市で発生した事件は、非常に衝撃的でした。面識のないと思われる中学生の男女2人が、43歳の男性に襲われたという内容です。特に、将来のある中学生たちが突然危害を加えられ、女子生徒が命を落としてしまったことは痛ましい限りです。また、男子生徒も命は助かったものの、心身に受けたショックは計り知れず、今後の人生に大きな影響を及ぼす可能性があります。

43歳の犯人像

夜8時、ハンバーガーショップで並んでいた中学生2人は、犯人とはおそらく面識がなかったと思われます。そのような見知らぬ相手を突然襲い、殺傷するという行為は、常識的には到底考えられないことです。いや、面識の有無や怨恨の有無にかかわらず、人を傷つけたり命を奪ったりする行為は、いかなる理由があっても許されるものではありません。今回の事件では、1人の命が奪われ、もう1人の心と体に深い傷を残す結果となりました。これらは将来にまで影響を及ぼしかねないものであり、決して許されるものではありません。まずは、この罪に対してしっかりと償いをするべきだと思います(刑罰の内容についてはここでは触れませんが)。

一方で、犯人が逮捕された際の報道では、「43歳の無職男性で奇行歴がある(拡声器で大声を出すなど)」という情報が伝えられました。その情報から、多くの人が「貧困層で独身の人物ではないか」と想像したのではないでしょうか。失礼ながら、私もそのように考えてしまいました。

しかし、実際のところ、この容疑者は資産家の跡取りであり、駐車場経営などを通じて生計を立てており、金銭的にはほとんど困っていなかったようです。また、独身ではなく妻子がいました。むしろ「ごく普通」というより、非常に恵まれた「上流階級」ともいえる境遇にあった男性でした。ただし、数か月前に離婚し、現在は独身となっています。

人を一概に環境や資質で決めつけてはいけない

この犯人について思うことはいくつかあります。

1.背景の不一致
この容疑者は資産家の跡取りで、金銭的な余裕があるにもかかわらず、奇行歴があり、最終的には暴力に及んでいます。この事実は、一見すると矛盾しているように感じられます。このことは、裕福な「上級国民」が必ずしも精神的な余裕を持ち、模範的な思考や行動をするとは限らないことを示しています。そして、この矛盾やギャップこそが、彼の内面に抱えていた問題や、社会とのつながりの欠如を浮き彫りにしているように思えます。

2.精神的な問題の可能性
報道によれば、奇行歴があったとのことから、精神的な疾患や社会とのつながりが希薄だった可能性が考えられます。もしそうであれば、事件の背景には適切な支援が不足していたことが影響しているのかもしれません。

また、この容疑者は無職でありながら、働かなくても金銭的に困ることはなかったと推察されます。物質的な不自由がない一方で、職に就いていないことで社会とのつながりが極めて薄かった可能性が考えられます。

3.個人の責任
ですが、どのような事情があったにせよ、人を傷つける行為は正当化できません。この罪の重さを本人が理解し、法的責任を果たすことが第一です。

資金的にゆとりがあるからといって、必ずしも精神的にゆとりがあるわけではありません。人間は、さまざまなつながりの中で生きていくものです。これらのつながりを複合的に重視し、円滑に保つことで、精神的にもゆとりが生まれると私は考えます。この容疑者は、そのことを象徴しているのではないかと思います。

こういった悲劇を繰り返さないためにも

この事件を考えると、人間が本当の意味で幸せに感じることは何かと考えずにはいられません。そして、その幸せというものは、単に自分だけが楽しく過ごすことで成り立つわけではないと思います。自分だけが楽しいという状況で、本当の意味での幸福を感じることはほぼ不可能ではないかと感じました。

この容疑者は、おそらく人とのつながりが著しく欠如していたのでしょう。金銭的には困っていなかったものの、人とのつながりがないことが、彼にとっては幸せを感じることの妨げとなっていたのではないでしょうか。

そして、このような犯罪が生まれる根本的な原因を見つめ直さない限り、悲劇は繰り返されるでしょう。単に貧困から救うためにお金を与えたり、税金を減らしたりすることでは、社会を根本から救うことは不可能だと思います。

もちろん、金銭的にゆとりがあることは貧困よりは良いことに決まっていますし、その点に関しては(主に)政治家に尽力してもらいたいですが、今の政治家たちが、お金の面以外で人々の内面を見つめ、精神的な充実に繋げようと考えているとは思えません。残念ながら、そのような政治家はほとんどいないのではないでしょうか。政治家には経済や法律の専門家はいるかもしれませんが、心理学の専門家はほとんどいないと思います。いや、専門家でなくても良いのですが、心理学的な観点から人々の幸福を考えている政治家や政党は、今のところ存在しないのではないでしょうか。

「日本は戦争が80年もない平和で豊かな国だ」と言う人が今も多くいます。しかし、現実には、戦争のない平和な状況よりも、戦争こそないものの、多くの人々の心が荒んでおり、精神的には戦争状態に近い人がかなり多いのではないかと思います。大げさかもしれませんが、私はそう感じています。

ここで日本全体の話をするのはやめますが、どんな人間にも「狂気」が潜んでいることを忘れてはいけません。この容疑者が狂っているからと決めつけるのも危険だと思います。

私自身も時折、頭に血が上ることがあります。もちろん暴力や過激な言動は慎みますが、しばしば表情に出たり、時には捨て台詞を吐きたくなることもあります。少々荒っぽい態度や発言をしていることもあります。この人生で大きな事件を起こしたことはもちろんありませんが、自分が100%まともな人間だとは思えませんし、これからもそう思うことはないでしょう。

どんな人間にも狂気は存在し、それとどう向き合うかが大切です。いかに狂気をコントロールし、穏やかな思考に戻し、多くの人と平和と幸福を共有できるか。それができない限り、本当の幸福は味わえないと思います。

今回の事件を通じて、ひとりひとりの内面に潜む「狂気」を改めて考え、自分自身の胸に手を当てて思い返すことが必要だと感じました。そうした自己省察を通じて、このような悲劇を繰り返さないための一歩が踏み出せるのではないかと思います。

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