桑田真澄巨人2軍監督 PL入学後に絶望を味わった 投手クビ 

時事ネタ

巨人軍2軍監督の桑田真澄さんと言えば、高校時代にPL学園で甲子園に5回出場し、2度の優勝を果たすとともに、通算20勝という前人未到の記録を達成しました。その後、プロ野球の巨人軍に入団し、エースとして活躍。通算174勝を挙げました。

その桑田さんが、実はPL学園入学当初、「投手失格」を言い渡され控えに回ったうえ、絶望を味わったことを、先日放映されたフジテレビ系「ぽかぽか」に出演した際に明らかにしました。

1年生の時から活躍していた桑田さんが、入学当時にそんな心境や境遇を経験していたとは、実に意外ですよね。

究極の早生まれのハンディ

桑田さんは1968年4月1日生まれで、学年でいえば1967年生まれの人たちと同じです。学年のカウントは4月2日から始まるため、桑田さんは「究極の早生まれ」といえます。同じ学年の4月生まれの人に比べると、1年分の成長のハンディがあり、桑田さんもその例外ではありませんでした。

さらに、桑田さんの身長は173cm(私とほぼ同じ)で、野球選手としては(当時でも)小柄な部類でした。そのため、入学後に周りの選手を見て「体格、パワー、スピードに絶望した」と回想しています。特に「絶望を味わわせてくれたのが清原君。あの体格、パワー、スピードを目の当たりにして絶望したんです」と語り、清原和博さんの圧倒的なフィジカルに衝撃を受けたといいます。

実は清原さんは入学当初、投手を務めていました。さらに、同じ学年には身長190cmの左腕投手・田口選手が在籍しており、桑田さんは「小柄な自分には勝ち目がない」と感じていたそうです。

その結果、桑田さんは野球を辞めることさえ考えたといいます。もし本当に辞めていたら、今日の桑田真澄さんは存在せず、PL学園や巨人の歴史も大きく変わっていたことでしょう。

「逆転の発想」「常識を疑う」

そこで桑田さんは「自分は小さい。常識を疑ってみよう」と、それまでの野球界の常識にとらわれず、自分に合った投げやすいフォームを模索し始めます。ちょうどその頃、桑田さんの姿を見守っていた清水さんという年配のコーチが、当時のPL学園監督・中村順二さんに「この坊主を俺に任せてください」と直訴。桑田さんを徹底的に鍛え上げていきました。

高校入学後、一度は投手失格を言い渡され、外野手に転向した桑田さん。しかし彼は「野球界には投手なら肘を高く上げる、というような常識が多い。でも、その通りにやればやるほど下手になり、結局投手をクビになった」と語っています。そこで「ならば、その常識を疑ってみよう」と考え、左腰を支点に腕の長さを意識して投げるという、独自のフォームを生み出しました。

その後も「投手の目的はアウトを取ること。スピードではなくコントロールを重視し、投球術で勝負しよう」と発想を転換。小さな体格でどう活躍するかを徹底的に考え、練習を重ねたといいます。

この発想の転換は、私たち(あるいは私自身)が生き方を模索する際にも非常に参考になります。私も現在、さまざまなことに挑戦していますが、その世界の常識にとらわれ、苦戦する場面が少なくありません。だからこそ、常識を疑い、逆転の発想を狙うのも一つの手ではないでしょうか。本来の目的は何かを見失わず、見つめ直していくことで、新たな道が開ける気がします。

桑田さんの野球人生は、まさに発想の転換と創意工夫を絶えず追求したものであり、それが彼を唯一無二の存在にしたのだと思います。

桑田さんのように

桑田さんは学年でいうと私の3つ上の方です。そのため、桑田さんが高校1年生のときから活躍していた姿は、今でも鮮明に目に焼き付いています。特に1年生の夏、圧倒的優勝候補だった池田高校に対して完封勝利を挙げ、水野投手からホームランを放った姿には、思わず「すげ~」と感嘆したのを覚えています。高校時代には2度の全国制覇を達成し、巨人軍入団後も常にエースとして活躍。1987年には沢村賞、1994年にはシーズンMVPを受賞するなど、輝かしい成績を残しました。

桑田さんの投球スタイルは、その小柄な体格から「技巧派」という印象を持たれがちです。しかし実際には、伸びのあるストレートと大きなカーブを武器にした「本格派」投手でした。さらにプロ入り後はスライダーやフォークなど多彩な変化球を習得しつつ制球力を磨き、「コンビネーション投手」として独自の地位を築いていきました。

当時、「本格派」と「技巧派」はやや対照的な存在と見られていました。本格派は速球が武器だがコントロールに課題があり、技巧派は制球力や投球術に優れるものの速球に欠ける、というイメージです。しかし桑田さんはその両方を兼ね備えた「ハイブリッドな投手」として、従来の枠組みを超えた存在でした。

思えば、桑田さんの登場をきっかけに、日本プロ野球における投手のレベルが向上していったように思います。桑田さんの13年後輩である松坂大輔投手や、現在も活躍するダルビッシュ有投手、田中将大投手、菅野智之投手、山本由伸投手なども、速球派でありながら制球力や変化球の技術を兼ね備えた「ハイブリッド投手」です。桑田さんの多彩な投球スタイルと高い総合力は、間違いなくその後の野球界に大きな影響を与えたといえるでしょう。

また、桑田さんは高校野球やプロ野球界における「上下関係」に対しても一貫して異を唱えてきました。体育会系的すぎる高校野球の在り方を改めるべきだという考えを持ち、高校時代からそうした上下関係を否定していたといいます。ただし、後輩へも時には厳しいことも伝えたそうで、「実は一番怖かったのは桑田さん」と語る後輩もいたようです。それでも、その指導は理にかなったもので、後輩たちからも信頼を得ていたことがうかがえます。

現役時代から引退後の評論家時代、そして現在のプロ野球指導者としての活動に至るまで、桑田さんは常に自己研鑽を重ね続けています。その姿勢は、MLBなどで活躍する現代の野球選手たちにとっても模範的な存在であり、桑田さんの影響は今も続いているのだと感じます。

そして桑田さんは、必ずしも優等生ではなく、むしろ絶えず「常識を疑う」スタイルで常に研鑽されたのだと思います。この姿、私たち(私)も大いに見習いたいなと思います。

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