渋沢栄一 その魅力と業績

歴史の話

歴史の話について、先日は石橋湛山の話をしましたが、今回は渋沢栄一について話を始めていきたいと思います。

2021年のNHK大河ドラマ「青天を衝け」の主人公に選ばれ、今年の7月からは新1万円札の肖像にもなりました。ここにきて幕末から明治時代の近代日本の発展に大きく寄与した渋沢栄一が話題になるのは、渋沢好きな私にとっても非常に喜ばしい限りです。

渋沢栄一の業績と魅力について話していければと思います。

渋沢栄一の業績

渋沢栄一の業績には以下のようなものがあります。

株式会社設立: 日本初の株式会社、第一国立銀行(後の第一勧業銀行、現在のみずほ銀行)の設立を主導しました。

金融制度の整備: 日本の近代的な金融制度の基盤を築きました。

産業振興: 多くの企業設立に関わり、日本の産業の近代化に寄与しました。例えば、東京証券取引所の設立などがあります。

社会事業: 教育や社会福祉の分野にも関与し、数々の公益活動を行いました。特に、青少年育成や貧困層支援に尽力しました。

一番有名な業績は、やはり数多くの株式会社を創立した点です。特に、日本最初の銀行である第一国立銀行は、今のみずほ銀行の前進です。他にも数多くの会社を創立し、その数は約500といいます。

銀行創設に伴い、金融制度の整備にも貢献しました。日本の近代的な金融制度の基礎を渋沢が築いたといっても過言ではありません。それに伴い、東京証券取引所を茅場町に設立しました。

※ 下の写真は東京証券取引所です👇

渋沢は単なる実業家ではありません。生涯に関係した社会公共事業は600を数え、教育や社会福祉の分野にも関与し、数々の公益活動を行っています。

こうしてみていくと、渋沢は日本の近代社会自体を創造し、全体を組織したオルガナイザーとしての位置づけが与えられる人物だと言えます。

渋沢栄一の魅力

渋沢の業績に照らし合わせていくと、その魅力がわかります。多岐にわたる業績を貫徹することが出来たその人間性こそ魅力だと感じます。

渋沢栄一の魅力は、彼の先進的なビジョンと多角的な影響力にあります。

彼は日本の近代化に取り組み、金融制度や産業の発展を推進しました。その際、倫理観と社会的責任を重視し、経済だけでなく社会全体の繁栄を考えました。

また、教育と育成にも力を入れ、多くの後輩に影響を与えた点でも評価されています。国際的な視野を持ち、西洋の先進思想を取り入れたことで、より広い視点から日本の発展を考えました。

幕末の志士から幕臣、政府の要人、そして官から民へ

渋沢の経歴は実に多岐にわたります。

武蔵国北部の血洗島(深谷市)の豪農の出身で、幼いころは家業の藍作りの手伝いや販売に携わり、幕末時には当初は討幕を志す勤王の志士でしたが、ひょんなことで一橋慶喜に仕え、幕臣となります。幕臣としてパリの万国博覧会に同行するも、滞在中に大政奉還、戊辰戦争と世上は激変。

帰国後は一旦は徳川慶喜のもとで静岡藩に仕えるも、明治新政府からの要請で大蔵省に入省。しかし、ほどなく大蔵省を辞し、事業を起こす立場となります。以降の活躍は上記に記した通りです。

この渋沢栄一の魅力や活躍の姿を、今後は語っていければと思います。

※※※ このサイトは、アフェリエイト広告を掲載しております ※※※

ブログをライフワークにしてお金と自由を生み出す方法 [ 中道 あん ]

価格:1705円
(2024/8/29 13:10時点)
感想(0件)

コメント

タイトルとURLをコピーしました